2010年8月5日木曜日

もののあわれ (35)

それぞれの文化が生み出した文学には、形式上の違いはあっても中身にはさほどの違いはない。どこの国の詩歌にも、人生の儚さが歌われ、移り変わる季節の美しさや故郷への懐かしさも歌われる。月・山・動物・虫……、どれも普遍的なモチーフである。

藤原氏は「もののあわれ」こそが、日本人ならではの美しい情緒であり、洗練されたこの美学こそ世の中が必要としているものだと主張する。美しい情緒などが世を救えるかどうかを考える前、とりあえず、「もののあわれ」というのは、そんなに珍しい情緒かどうかについて考えてみよう。

「『もののあわれ』に相当する英単語はなく、平安時代の和歌を英訳しようとする人は大変苦労する」。こうした理屈で、藤原氏は欧米における「もののあわれ」の理解が乏しいと主張している。しかし、そんな主張は、英語と言語学そのものに対する理解の足りなさを表しているだけではないだろうか?

実のところ、「ありがとうございます」や「どういたしまして」も、本来の意味をよく考えれば、ぴたりと当てはまる英単語は無いのだ。だが、「Thank you」と「You're welcome」で充分間に合っている。藤原氏のように、直訳にこだわることは下手な翻訳法だ。

英語には、二十五万以上の単語があり、これに熟語・専門用語・方言などをあわせると、総単語数は七十五万まで上るとも言われる。世界中の言語の中で最も多い単語数であるとされることもある。それだけの薀蓄を持ちながらも、誰もが経験するはずの「情」を表現できなかったら確かに困る。だが、実際には何の問題も無い。

まず真っ先に思いつくのは、「ephemeral」という形容詞だ。ギリシア語の「エフェメロス」という語に由来し、「一日だけ存在する」という意味から転じて、「儚い」や「短命である」などの意味をもつようになった。もちろん、形容詞としてどんな名詞を修飾しても良いから、英語では、ephemeral life, ephemeral joys, ephemeral beauty などの言い方がたくさんある。一日しか生きられない短命な虫や花にも使われる。響きが綺麗で、なかなか立派な言葉だ。

意味が似ていても、「transient」や「evanescent」という形容詞には、「ephemeral」とは微妙に異なったニュアンスがある。そして、語尾を変えれば、名詞として使えるので、さらにたくさんの表現が出来る。

この他にも、「transitory」、「fleeting」、「impermanaent」、「 momentary」、「 unenduring」などの言葉もあり、「もの」「の」「あわれ」のように、複数の単語を組み合わせようとすれば、巧みな表現がいくらでも出来る。

どちらかといえば、「よろしくお願いします」のような決まり文句の方が英語に翻訳しにくいだろう。主語も目的語も省略されているからだ。だが、いくら「日本的」な美学要素とはいえ、「もののあわれ」は、英語に翻訳しにくい言葉であるとは私は思えない。

「いや、そうじゃなくて、『もののあわれ』という言葉ではなく、『もののあわれ』という雰囲気を描くこと、『もののあわれ』という描写そのものは英語に翻訳しにくい」と言われても、私は納得しない。元の詩がよく出来ていれば、そのまま翻訳すれば良い。「もののあわれ」は万国共通の情緒の一つであるから、わかる人はわかる。

次回、形の多様性に富む世界の文学が、どのようにして共通した情緒に取り組んできたかを、具体的な例で見てみよう。

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