せっかくだから、もう一つの例を見てみよう。次の場合は、共通している感情も同じであれば、それぞれの反応まで大して変わらないかもしれない。
まず、和漢朗詠集からだ:
頼めつつ 来ぬ夜あまたに なりぬれば 待たじと思うぞ 待つにまされる
(相手が訪れてくることを毎晩期待しても、結局来ない夜がずっと続いてしまっている。だが、「これ以上待つまい」と決心するのもまた辛いことである)
満たされない愛。その寂しさはいかに耐えがたいことか、これも普遍的なテーマだ。
アメリカの詩人ウォルト・ホイットマンも、自分の心境をこう表現した:
I am he that aches with amorous love;
Does the earth gravitate? does not all matter, aching, attract all matter?
So the body of me to all I meet or know.
(私は恋情に思い悩む者だ。
地球に発せられる引力の如く、
どの物質も周囲の物に強く憧れ、引き付けようとするのではないか?
私の体も、知り合う全ての人を引き付けようとしている)
ギリシアの女性詩人サッポーも、強く渇望的な愛の辛さを上手に描いている:
情欲が又もわたしの身を揺さぶりまわす。
手足の力がとろかしてしまい、
からみつくこのほろ苦さに
わたしには何の抵抗もできない。
愛の力は恐ろしいものらしく、中国の隠逸詩人であった陶淵明でさえ、次のような切ない句を詠んでいる:
願在晝而爲影 常依形而西東
悲高樹之多陰 慨有時而不同
願在夜而爲燭 照玉容於両楹
悲扶桑之舒光 奄減景而藏明
(できることなら、昼には、影となって、あなたの身に寄りそっていたい。
しかし、悲しいことに、高い樹木の影も多く、ときどき一緒にいられなくなる。
できることなら、夜には、灯火となって、柱の間からあなたの美しい姿を照らし
ていたい。しかし、悲しいことに、朝日が差してくると、あなたは私を消してし
まうだろう)
この歌は、淵明の妻の没後の作ともされているので、一層切なく感じられる。
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