2010年8月14日土曜日

世のなかは 夢かうつつか (36)

形の多様性に富む世界の文学が、どのように共通した情緒に取り組んできたかを、具体的な例で見てみよう。

先ずは、古今和歌集から一遍の和歌を挙げよう:

世のなかは 夢かうつつか うつつとも 夢とも知らず ありてなければ

(世の中は、夢なのか、現実〔うつつ〕なのか、これは何とも言えない。全てがあってないような存在だからだ)

「よみびとしらず」による歌とはいえ、多くの人が考えてきたことだろう。シェイクスピアも次のような言葉を残している:

We are such stuff,
as dreams are made on; and our little life
is rounded with a sleep.

(我々は夢と同じ物で作られ、この儚い命は眠りに終わる)

古代ギリシア人、ピンダロスの詩では、同じ情が次のように表現されている:

人の命は一日限りの儚いものだ。人間とは、いったい何物だろう?
その存在をどう定義するか?
人は、夢の中の影だ。


最後に、李白の言葉を挙げよう:

處世若大夢  胡為勞其生

(この世にあるのは、大きな夢を見ているようで、儚く短い存在だ。ならば、必要以上に苦労しない方がいいだろう)

和歌を詠んだ詩人は、老荘思想もしくは仏教の影響を受けていたという説はあるが、シェイクスピアはどうかというと、演劇の独特な儚さに刺激されているようだ。脚本家ならではの話だ。

ピンダロスの詩はやはり古代ギリシアの思想に影響されている。格闘技の試合に優勝した若者を一旦褒め称えてから、彼は上記の言葉で締め括っている。どんな名声も儚いものであり、そもそも人間そのものも儚い存在であると。

そして、李白の詩の続きを読むと、酒豪だった彼は、「どうせなら今のうち楽しまなきゃ。酒だ!」と酔っ払って、しばらく道端で倒れてしまうのだ。しかし、目が覚めると、鶯の声を聞き、「このまま大自然に溶け込んでいきたいな」という無我の境地に至らせられる。

それぞれの詩は人生の儚さをテーマにし、その儚さに対する作者自身の「反応」ではあるが、きっかけとなった根本的な「感情」は全く同じだろう。

2010年8月5日木曜日

もののあわれ (35)

それぞれの文化が生み出した文学には、形式上の違いはあっても中身にはさほどの違いはない。どこの国の詩歌にも、人生の儚さが歌われ、移り変わる季節の美しさや故郷への懐かしさも歌われる。月・山・動物・虫……、どれも普遍的なモチーフである。

藤原氏は「もののあわれ」こそが、日本人ならではの美しい情緒であり、洗練されたこの美学こそ世の中が必要としているものだと主張する。美しい情緒などが世を救えるかどうかを考える前、とりあえず、「もののあわれ」というのは、そんなに珍しい情緒かどうかについて考えてみよう。

「『もののあわれ』に相当する英単語はなく、平安時代の和歌を英訳しようとする人は大変苦労する」。こうした理屈で、藤原氏は欧米における「もののあわれ」の理解が乏しいと主張している。しかし、そんな主張は、英語と言語学そのものに対する理解の足りなさを表しているだけではないだろうか?

実のところ、「ありがとうございます」や「どういたしまして」も、本来の意味をよく考えれば、ぴたりと当てはまる英単語は無いのだ。だが、「Thank you」と「You're welcome」で充分間に合っている。藤原氏のように、直訳にこだわることは下手な翻訳法だ。

英語には、二十五万以上の単語があり、これに熟語・専門用語・方言などをあわせると、総単語数は七十五万まで上るとも言われる。世界中の言語の中で最も多い単語数であるとされることもある。それだけの薀蓄を持ちながらも、誰もが経験するはずの「情」を表現できなかったら確かに困る。だが、実際には何の問題も無い。

まず真っ先に思いつくのは、「ephemeral」という形容詞だ。ギリシア語の「エフェメロス」という語に由来し、「一日だけ存在する」という意味から転じて、「儚い」や「短命である」などの意味をもつようになった。もちろん、形容詞としてどんな名詞を修飾しても良いから、英語では、ephemeral life, ephemeral joys, ephemeral beauty などの言い方がたくさんある。一日しか生きられない短命な虫や花にも使われる。響きが綺麗で、なかなか立派な言葉だ。

意味が似ていても、「transient」や「evanescent」という形容詞には、「ephemeral」とは微妙に異なったニュアンスがある。そして、語尾を変えれば、名詞として使えるので、さらにたくさんの表現が出来る。

この他にも、「transitory」、「fleeting」、「impermanaent」、「 momentary」、「 unenduring」などの言葉もあり、「もの」「の」「あわれ」のように、複数の単語を組み合わせようとすれば、巧みな表現がいくらでも出来る。

どちらかといえば、「よろしくお願いします」のような決まり文句の方が英語に翻訳しにくいだろう。主語も目的語も省略されているからだ。だが、いくら「日本的」な美学要素とはいえ、「もののあわれ」は、英語に翻訳しにくい言葉であるとは私は思えない。

「いや、そうじゃなくて、『もののあわれ』という言葉ではなく、『もののあわれ』という雰囲気を描くこと、『もののあわれ』という描写そのものは英語に翻訳しにくい」と言われても、私は納得しない。元の詩がよく出来ていれば、そのまま翻訳すれば良い。「もののあわれ」は万国共通の情緒の一つであるから、わかる人はわかる。

次回、形の多様性に富む世界の文学が、どのようにして共通した情緒に取り組んできたかを、具体的な例で見てみよう。