2010年4月30日金曜日

意外と明るかった「暗黒時代」 (12)

では、「野蛮だったヨーロッパ」の「さほど野蛮ではない」事実を、他にも少し挙げてみよう。

• 「三圃式農業」が開発された。穀物用、豆類用、休耕地に畑を区分し、そのローテーションを毎年組むことにより地力低下を防ぎ、収穫量を上げることができた。

• 水車を利用する製粉場が徐々にヨーロッパ全土に広まった。1086年のイギリスには5624ヵ所も記録されている。

• 頸木(くびき)などが改良され、以前のように首に直接プレッシャがかからなくなったので、馬や牛に鋤(すき)を引かせる際には、何倍も効率よく土を掘り起こすことが出来るようになった。

• 蹄鉄(ていてつ)も一般に使われるようになり、家畜の労働率が更に上昇した。ちなみに、蹄鉄用の釘を一定の大きさに定める必要があったので、金属加工の技術はいかに進歩していたことがうかがえる。

• 城や大聖堂を建築するための工学技術が常に発達していた。前述のアーヘン大聖堂もその一つだが、中世に多く建造された建物の中に、ウェストミンスター寺院やカンタベリー大聖堂、ノートルダム大聖堂なども代表的なものである。

• オックスフォード大学(1096年)、ケンブリッジ大学(1209年)、パリ大学(1090年)、ボローニャ大学(1088年)などは中世に創立され、その他にも、現代に至るまで教育活動を続けてきた中世の大学は少なくとも50校もある。

• 誰の家にも風呂がある現代人には負けるかもしれないが、中世の人間はかなりの風呂好きだったらしい。清潔面では19世紀のヨーロッパ人にも勝っていたという説もある。庶民も銭湯を頻繁に利用して、お湯に香水を入れたり、バラの花びらを浮かべたりする風習まであった。

• 中世の食材は何となく限られていたイメージではあるが、実際には、今存在するほとんどの野菜類や果物が栽培されていた。チーズ、パン、魚も庶民の食べ物だった。ケーキ、ウエハース、ジャムなど、贅沢品のレシピーも残っている。肉を中心に食べていた貴族は生活習慣病に患われる程だった。

• 医者は少なく、医学そのものは原始的だったとはいえ、胆石や癌、ヘルニアなどの手術は行われていた。ばい菌などの詳細はまだ明かされていなかったのに、消毒用にアルコール(ブドウ酒)や焼灼が使われ、無菌の卵の白身を傷口に塗って包帯で巻いていた。

• 13世紀のパリには病院は12軒もあった。入院手続きの一部として患者の体を洗い、シラミなどの服の消毒も行われた。看護師として働いた尼や在家のボランティアは、患者の体を毎朝洗い、ベッドのシーツを頻繁に変えていた。病室は花で飾られていたそうだ。

• 中世後期には、イギリスの病院は400軒もあり、宗教改革までにはその数が750軒までのぼっていた。

• 数学の進歩を妨げるものには、ローマ数字での計算の難しさがあった。だが、13世紀にアラビア数字が主流となり、簿記などが楽になっただけではなく、数学に対する意欲も出てきた。三角法などもこの頃から一般に知られるようになり、ルネサンス期に見られる著しい進歩の土台が徐々に築かれた。

• 西洋文学の原点も中世にあり、叙事詩・抒情詩・小説・エッセイ、旅行記・演劇など、みんな盛んに書かれていた。

• トルバドゥールなどの吟遊詩人の存在は、一般人と貴族の歌や音楽への関心を示す。

• 写本などのイラストレーション、金細工、彫刻、刺繍……。中世には豊かな職人文化や芸術も存在していた。

2010年4月29日木曜日

「暗黒時代」という言葉 (11)

藤原氏が指摘している5世紀から15世紀までの期間をまとめて中世と考えることにしよう。千年間もの大陸の歴史を一つの時代として取り上げることなんて、いきなりニュアンスに欠けており、最初からカリカチュアっぽいが、その辺はここでは仕方なく認め、大切なところにだけ焦点を当てよう。

先ず言えることはこれがローマ帝国崩壊後の時代だ。中世の「中」というのはローマ崩壊からルネサンス期の始まりの間を暗示して、二つのいわゆる黄金時代の間を指しているわけだ。

俗ではこの千年間を「暗黒時代」と言うことは未だにある。つまり、古代ローマやギリシアの学問と社会的秩序が乱れてしまったため、人々の心は迷信に支配され、ヨーロッパの諸国は完全に退化してしまった。大陸全土が無知・暴力・疫病に患われ、ルネサンス期の光がさしてくるまでは、どの民族もまるで闇の中をさまよっていたような状態だった。

藤原氏の「野蛮だったヨーロッパ」も、まさにこんなイメージではあるが、はたしてこれは正確な歴史像なのだろうか?

「暗黒時代」という言葉やイメージは、一般の欧米人の間でも深く根付いている。だが、歴史家の間では「暗黒時代」という言い方を用いる人はもはやいないようだ。しかも、中世についての理解が深まり、「暗い」印象を変えるような研究が為され始めたのは、既に百年以上も昔の話だ。

では、「暗黒時代」という言葉はいったい誰が最初に使ってしまったのだろうか? 通常なら、それはなかなか難しい質問だ。ある言葉が使われ始めた時代や環境が定かでも、最初に言い出した個人の名前までは予想の付かないことだろう。しかし、この場合の答えははっきりしている。紀元1300年代のイタリア人、フランチェスコ・ペトラルカだ。つまり、中世を実際に生きていた人物だ。

ペトラルカは詩人だった。そして、イタリア語の抒情詩を得意とするだけではなく、古代ローマの文学に魅せられた彼は、ラテン語文学を古代の美しさに復興させたかったわけだ。比喩的な表現力に富んでいたペトラルカは、「光と闇」という象徴的な言葉を利用して、中世におけるラテン語文学を批判した。つまり、ラテン語を上手に書く筆者が稀に現れたにもかかわらず、彼らは例外であり、ラテン語に対する時代の「暗闇」に包まれていた。この言葉こそが、中世ヨーロッパの「暗黒時代」呼ばわりの始まりだ。

ところが、カリカチュアと智子イズムは、どの時代の人々にとって便利なものであり、文学批評の比喩として生まれたこの言葉は、まったく違う意味でも使われるようになった。例えば、宗教改革中に、プロテスタントの思想家は中世の権力者であるカトリックの聖職者やローマの教会そのものを批判するために、「暗黒時代」という言葉を借りた。「人々の心がローマに支配された長い「暗黒時代」が終わり、新たな真理が世に出た!」といった具合だろう。

さらに時が経つと、ヴォルテールなど、啓蒙時代の思想家たちも、「暗黒時代」という標語を利用した。しかし、今度はキリスト教全般をけなすためであり、彼らの時代からは、反宗教的な使い方が圧倒的に多かったようだ。だが、中世は確かに戦争の多い時代であり、疫病や貧困の時代でもあった。したがって、これらの意味も徐々に入り込むことは避けられなく、「暗黒時代」という言葉が、あらゆる意味において「野蛮だったヨーロッパ」を指すようになるまでは、時間の問題だったかもしれない。

では、19世紀・20世紀になってくると、なぜ歴史家たちの考え方が変わってきたのだろうか? 中世を見直した理由は何だろう?

それは、考古学による画期的な大発見によることでもなければ、難しい内容の研究によることでもない。簡単に言えば、皆落ち着いて、よく考えるようになっただけだ。何百年も続いた宗教に対する感情的な反発も治まり、振り返ってみると、中世の歴史が思ったより複雑で興味深いものだったのだ。

例えば、フランク王国の国王、カール大帝の話がある。在位期間の紀元768年(日本で言えば、聖武天皇在位中の奈良時代)から 814年の間、現代で言う西ヨーロッパ(イギリスを除く)はほとんど統一され、大帝の政権は教育や芸術を発展させられるほど安定したものだった。

ラテン語を流暢に話せた大帝はギリシア語も多少できて、古代の学問に興味を持っていた。宮殿で学校を開き、貴族の間に古典的な教育を広めようとしただけではなく、古代の学問を後世に伝えるために、大帝は国中の修道院で古典の写本を僧たちに作らせた。今日存在するラテン文学や演説の九十パーセントが、この時の写本でしか残っていないのだ。皮肉なことだが、ラテン文学の「暗黒時代」を喚いたペトラルカも、その時代の最も有名な王に感謝すべきだったのだ。

カール大帝が建設を命じたアーヘン大聖堂は805年に完成され、千二百年もたった今でも、八角形の美しい宮廷礼拝堂は訪れる人の心を魅了している。だが、教会だけではなく、大帝は橋や運河の建設にも力を入れたらしく、いわゆる土木事業にも大変な関心を寄せていた。

重々しい威儀・祭礼・儀式などを好まなかった大帝は、宮殿の門に鐘を設置した。どんなに身分の低い人でも、王に訴えのある人がいれば、その鐘を鳴らすと、大帝に直接会うことができたそうだ。

なかなか進歩的だったこのカール大帝の没後には、相応しい跡継ぎが現れなかったことは実に残念なことだ。だが、「理想的な王」として彼の評判は確実に後世に伝えらたため、後世の多くの権力者が影響を受けたに違いない。

ヨーロッパの「暗黒時代」 (10)

『産業革命はイギリスで起きてしまいました。アフリカ、中南米、中近東はもちろん、日本や中国でさえまったく起こりそうな気配がなかった。と言うと、いかにも欧米の白人が優秀で、ほかの民族が劣等であるかに思えてきます。しかし、事実はそうではありません。例えば、五世紀から一五世紀までの中世を見てみましょう。アメリカは歴史の舞台に存在しないに等しい。ヨーロッパも小さな土地を巡って王侯間の抗争が続いており、無知と貧困と戦いに彩られていました。「蛮族」の集まりであったわけです。』    「国家の品格」第一章より。

欧米独特の論理への執着によって、世の中はやられてしまっている。この「論理馬鹿仮説」が、藤原氏の大きな主張であり、前章ではそれを見てきた。だが、そういう流れから考えたとしても、藤原氏がなぜ中世ヨーロッパをこうも批判しているのかが、正直に言うと、私にはよくわからない。なぜなら、論理への執着などがあったとしても、それはルネサンス期以降の話であって、中世がどうのこうのというのはあまり関係ない気がする。

しかし、藤原氏がまたカリカチュアにより、読者の欧米人に対する気持ちに訴えようとしているだけだとすれば、批判の理由がわかる気がする。つまり、中世ヨーロッパの批判は、サルに似せられたブッシュ大統領の似顔絵やナストの描いたワニと同じだ。それに、「国家の品格」の他の場所では、「槍一本でライオンを倒せるマサイの勇士」に対して「鉛筆より重いものを持ったことのないような非力な白人」が挙げられ、「闘争好きな欧米人」や「こんな奴ら」のような言い方も使われている。「欧米人に対する差別じゃないか!」と、大げさなことを私は言わないが、藤原氏は、対人論証や悪質なカリカチュアを利用することには、どうやら何の抵抗が無さそうだ。だったら、そうした時にはそれを指摘せざるを得ないのだ。

そもそも、「中世ヨーロッパ」という言い方は、どの時代を指していて、その時のヨーロッパはどんな世の中になっていたのだろうか?

2010年4月28日水曜日

欧米に於ける論理の束縛 2 (9)

倫理について少し考えよう。

『人を殺していけないのは『駄目だから駄目』ということに尽きます。『以上、終わり』です。論理ではありません。このように、もっとも明らかのように見えることですら、論理的には説明出来ないのです。』
                    「国家の品格」第二章より。

これは立派な言葉だ。藤原氏の言うとおりだろう。だが、氏の言うように、これもまた欧米では理解されていないのだろうか?

そんなはずはない。

カントの至上命令や、ベンサムとミルの功利主義など、理屈っぽい倫理思想は確かにある。だが、藤原氏の言う「駄目だから駄目」のような、いわゆる先天的な概念こそが、倫理学の基本であることも、欧米では理解されている。ここでは、そんな話を深く追求しない。なにしろ、大半の人はカントの書物を手にすることは先ず無い。欧米における倫理観の本当の原点を追求した方が有益だろう。

そもそも欧米の倫理学の土台は何なのだろうか?

明らかに哲学ではなく、宗教だ。具体的に言えば、キリスト教の教えだ。キリスト教は欧米において二千年もの歴史があるので、そのルーツは非常に深い。「僕は無神論者だ。宗教なんか嫌いだ」と言う人もいるかもしれないが、欧米人である限り、キリスト教独特の倫理観の影響を多少なりとも受けているはずだ。親のしつけ、学校の教育、映画、文学……、何にでも染み込んでいる思想だからである。

では、キリストの道徳的な教えを少しだけ見てみよう。「山上の垂訓」と呼ばれるキリストの説教の中に出てくる言葉がもっとも代表的だろう:

「目には目を、歯には歯を」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もしだれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。

あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。

「隣人を愛し、敵を憎め」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らしてくださるからである。

「非合理そのものだ」と言えるほどの話であるが、同時に、欧米人の心にこれほど強く語りかけてくる言葉はないのだ。そして、このような言葉こそが欧米の倫理観の中核となっている。最後に、欧米人であれば誰もが聞いたことがある「八福の教え」を挙げよう:

こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。  
悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。  
柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受け継ぐであろう。 
義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
平和を作り出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである   

理屈を加え、キリストの教えを拡大させようとする人、言葉遣いや比喩を現代化させようとする人、すべてを否定したり、無視したりしようとする人。こうして、先祖の受け継ぎに対する反応はいろいろあり、人それぞれの生き方がある。ただし、はっきりと言えることは、受け入れるにしろ、拒むにしろ、欧米の倫理観の土台になっているこれらの教えを意識しない人はいないのだ。宗教から離れつつある現代社会においても、キリスト教的な倫理は我々の心に未だに深く根を張っている。

                   *****

今までの話は次のようにまとめることが出来る。 

• 論理の原則を尊重しながらも、「形式的誤謬」と、「非形式的誤謬」を基本事項として教える欧米の哲学、

• 議論の前提をしっかり見つめ、現実を把握しようとする欧米のビジネスマン、主婦、小学生の議論の仕方、

• 勘に頼り、感情に促され、とっさにひらめき、偏見と先入観で物事を判断する欧米の人々の根本的な人間らしさ、

• 潜在意識より湧き上がる宗教の教えに導かれる欧米の倫理観、

私は以上のことを考えると、欧米人が、かたくななほどに論理に執着しているがために、道に迷った哀れ・滑稽・危険な人々であるとは、とても思えない。どちらかと言えば、勉学・仕事・育児などに日々努めながら、時には成功して、時には失敗する、至って普通の民族に思われるのだ。他の国の文化と同じように、欧米独特の文化にも、賞賛に当たる部分も批判すべき部分もある。

だが、藤原氏の説く「論理馬鹿」というのは、どこにも見当たらない。

欧米に於ける論理の束縛 1 (8)

「国家の品格」をもう一度引用しよう。論理だけでは人間社会の様々な問題を解決することができない理由について、藤原氏が語っている所だ。 (第二章より)

『先ず第一は、人間の論理や理性には限界があるということです。すなわち、論理を通してみても、それが本質をついているかどうか判定できないということです。』

要するに、どんなに合理的な提案でも、それは現実に通用するかどうかはわかりかねる。だったら、合理的な解決法だけを求めたり、むやみに論理に頼ったりしてはならない。

なるほど。それは確かにそのとおりだ。欧米の文化には、藤原氏が言うほど論理にこだわる傾向が本当にあるのであれば、それは大変なことかもしれない。誰もがその危険性を認めるだろう。

さて、自分の子どもの可愛さしか見えなくなってしまった人を「親馬鹿」と言い、釣りにはまってしまっている人を「釣り馬鹿」と言う。こんな言い方にちなんで、「欧米人は論理にこだわり過ぎだ」という藤原氏の批判を『「論理馬鹿」仮説』と呼ぶことにしよう。

しかし、幸いなことに、藤原氏のこの主張は、カリカチュア交じりの智子イズムに過ぎない。先ず私自身のある経験を挙げよう。

私は小学生の時から算数や理科の勉強より国語や社会の授業の方が好きだった。あの頃から私は完全に文系の人間だったようだ。だが、受けてきた授業の中で特に印象に残っているのは、大学で受けた数学教授による講義だ。

その日、教授は「10+3は?」といきなり聞いてきた。「やれやれ、文系の私たちをからかっているんだね」と私は先ず思った。だが、同級生の一人が「13だろう……」と答えると、教授はにっこりと笑いながら話し続けた。

「まあ、普通に考えればそうだけど、10+3=1ということもありえないだろうか?」

その時、私は、「ああ、そうか。時計だね」と思い、手を挙げてみたが、悔しいことに教授は他の人を指してしまった。

時計上の算数では10+3=1(十時に始まった授業が三時間続けば、終わる時刻が午後一時だ)というのが確かに教授の求めていた答えだった。そして、その例の次に、数学に於ける「相対性」というテーマで教授が講義をはじめた。単純に考えがちな算数でさえ、それを裏付ける「論理」を変えてしまえば、実に見事な多様性が生じる。彼はこういう話が好きだったらしく、とても嬉しそうに話していたことを今も覚えている。

ちなみに、教授はこのような話もしてくれた覚えがある。

• どのような主張にも前提があり、その前提の定義次第で最終的な結論は決まってしまっている。

• この論理の「相対性」を悪用し、思うがままに研究の結果や議論のいきさつを操ってしまうことができるので、そんな詭弁家には要注意だ。

• 当然のように受け入れられている仮説でさえ、根本的な前提に問題が発見されれば、その常識が引っくり返されることがよくある。したがって、学者も、社会人も、物事を柔軟に考える必要がある。

どうやら、この教授にとっては、数学・論理学は教室や研究所で使う仕事の道具だけではなかったようだ。それどころか、そういう学問は彼の日常生活や対人関係にまで影響を与えていたのだ。

ここで強調したいのは、教授の性格だ。つまり、論理学などが完全に染み込んだ人物であったにもかかわらず、カチカチな「近代的合理精神」しか通用しないようなロボットではなかった。がむしゃらに理性だけを追い求める頑固な性格でもなかった。逆に、論理による相対性を充分認めていた上で、自分自身に考え方の柔軟性を求め、私たちにもそれを伝えようとしていた。

「非合理は確かに好まない。だが、ある物事が合理的だと思われても、議論の前提を確認し、なおさら注意深く考える」。藤原氏の説く「論理馬鹿」ではなく、こういう考え方こそが欧米に於ける理想的な思考法だ。

つまり、論理を通したり、形式的誤謬や非形式的誤謬を避けたりする以外にも、欧米の論理学には、大切な役割がもう一つある。それは、前提を常に意識させ、現実的な議論をはかどらせることだ。

「ああ、なるほどね。まあ、言っていることはわかるよ。だけど、もし○○が本当に△△じゃなかったら、話はぜんぜん違うだろう。とりあえずそのへんを確認しましょう」

これは、相手の話の辻褄が合うことを認めながら、前提の確かさを確認させようとする反論のセリフだ。会社の会議室、学校の校庭、裁判所、議会(国会)議事堂、スーパーマーケットの駐車場……。どこへ行っても、何かしらの形で聞こえてきそうだ。藤原氏が描く「論理馬鹿」が本当に存在していたら、人間社会では生きてはいけないだろう。ましてや、それが欧米社会全体の基本的な考え方であるとは、ありえないだろう。

「論理馬鹿」になっているどころか、論理とまったく関係がない類の判断を欧米人は日々下している。藤原氏のカリカチュアに反論するため、ここまで当たり前のことを言わなければならないことはおかしいとも思うが、欧米人は勘や感情、とっさのひらめき、予めの道徳的信念、先入観や偏見などで、素早く物事を判断することがある。論理的な過程を踏まえた上での判断より、そのような形で判断を下すことは圧倒的に多いのではないだろうか? 人間なら誰だって生まれ持った性質だ。

中世ヨーロッパと論理学 (7)

確かな知識を目指す論理学がローマ帝国崩壊後にヨーロッパへ伝わった時、大きな刺激を受けたのは、中世の聖職者と神学者だった。12世紀を代表する学者、ピエール・アベラールもその一人であり、彼の著作「然りと否」は、論理学が当時の学問にどのような影響を与えたかを物語っている。

アベラールは、「然りと否」の中で初期のキリスト教の指導者たちの発言(158)を収録しているが、それらはすべて、アベラールが「矛盾している」と判断したものばかりだ。とはいえ、教授であったアベラールの真の目的は、教父たちを批判することではなく、このような矛盾をどう解決できるかを、彼の生徒たちに考えさせることだった。したがって、「然りと否」は論文ではなく、「教科書」と呼んだ方が良いのかもしれない。

「然りと否」の序文の一部を引用しよう: 

『私は、教父たちの格言を収録し、その中にある「矛盾」について討論問題を作成した。これらの問題に刺激され、読者が熱心に真理を追究することによって、新しい知恵に導かれれば幸いである。

真の知恵を得るには、「疑問」を絶えず抱かなければならない。この原則を理解していたアリストテレスは、物事を疑問視する精神を何より強調した。『カテゴリー論』の中で、アリストテレスは次のように述べている。「常に討論する以外に、望ましい結論に至る方法はない。何事においても、詳細に対する疑問を抱くことは大いに有益なことである」。

疑問を抱くことによって、人は考察するようになり、考察することによって、人は真理に導かれるのだ。』


現代の哲学の教科書に出てきてもおかしくない言葉だ。教育や真理の追究に対するアベラールの熱い思いが伝わり、めざましい進歩を見せる現代科学も、このような考え方に基づいていると言っても過言ではないだろう。

当時は、何千人もの学生がアベラールの元に集まったため、彼だけが新しい哲学に燃えていたのではなく、中世ヨーロッパには、好奇心にあふれ、学問に励んでいる人は大勢いたことがよくわかるのだ。

古代ギリシアの「論理学」に引火し、一気に燃え出した中世ヨーロッパの「合理精神」、これは正に今も燃え続ける欧米哲学の灯火だ。

だが、藤原氏が言うように、欧米人は本当に論理の輝きに目が眩んでいるのだろうか?

「誤った論法」 (6)

アリストテレスがわかりやすく解き明かした「推論の世界」、これこそが論理学の活躍する領域である。具体的に言えば、論理学の目的は推理の過程を正しく定めることだ。

推理の過程に過ちがあれば、どんなに理屈をこねても、真理を導き出すことは出来ない。これを認めたアリストテレスは、正しい論法を教えるだけではなく、さまざまな誤った論法について後世の哲学者に警告を与えた。

アリストテレス(あるいは後の哲学者たち)が指摘した「誤った論法」は沢山あるが、代表的なものをここで見てみよう。

後件肯定の虚偽: この論法を「もし○○であれば、△△である。実際に△△である。だから○○である」と表記してもいいだろう。言葉に置き換えれば、次のようになる。「太郎が自分の妻を殺したならば、彼は悪人である。太郎は悪人だ。だから太郎は妻を殺したのである」。明らかにおかしい推論だ。太郎が悪人だとしても妻だけは愛しているかもしれない。

前件否定の虚偽: これを「もし○○であれば、△△である。実際には△△ではない。だから○○でもない」のように表記して、次のように言い換えよう。「太郎が自分の妻を殺したならば、彼は悪人である。実際には妻を殺していない。だから太郎は悪人ではない」。これもおかしい。妻を殺していなくても、他の意味で太郎は悪人だというのは充分ありえる。

媒概念不周延の虚偽: 「一部の○○は△△である。一部の△△は××である。だから一部の○○は××である」。つまり、「一部の新生児は女性である。一部の女性は妊婦である。だから一部の新生児は妊婦である」。ありえない! 
しかし、次の例ははどうだろうか? 「一部の政治家は嘘つきである。一部の嘘つきは泥棒である。だから、一部の政治家は泥棒である」。確かに嘘つきの政治家は世の中に多い。公金を横領する政治家も残念ながら珍しくない。一見して、この推論ならば何となく通っている気もするが、やはりこれも論法として誤っている。嘘をついている政治家と公金を横領している政治家はきれいに分かれているのかもしれない。


以上三種類の論法は、推理過程上の形式的な問題があるため、「形式的誤謬」と呼ばれている。だが、この他にも、アリストテレスは議論中の内容に当てはまらない論法や推理の前提に問題がある論法などを誤った論法として指摘している。

例えば、「道路の真中に立ち、通行中の車を差し止めることは迷惑である。お巡りさんは道路の真中に立ち、通行中の車を差し止める。だからお巡りさんは迷惑である」。これは形式上の問題というより、「道路の真中に立ち、通行中の車を差し止めることは迷惑である」という前提には例外があることを無視しているのが問題だ。「例外の撲滅」と呼ぶこの誤った論法の他に、前述のわら人形(ストローマン)論法などもあり、この類は「非形式的誤謬」と呼ばれている。

他の例も見てみよう。

多数論証: 「皆駄目だと言っているから駄目なんだ!」。しかし、皆が間違えているのかもしれない。

同情論証: 「先生、お願いだから……。この授業の単位を取らないと、僕、卒業できなくなる!」。 可哀想だが、仕方がない。落第したくなかったら、宿題を提出すれば良かったじゃないか。

論点のすりかえ: 「だって、宿題をやろうと思ったら、妹が部屋に入ってきて、勉強の邪魔をした。あいつはいつもそうなんだ……」。こんな時に、妹の話をされても……。

脅迫論証: 「こっちから先に攻撃しないと、相手は何をしてくるかわからないぞ! 出陣だ!」。気持ちはわかるが、よく考えてから行動した方が良いだろう。

対人論証: 「あいつが言っていることは嘘に決まっている。だって、右翼(左翼・弁護士・ユダヤ人……)じゃないか?」。でも、右寄りの人だって(左寄りの人だって、理屈っぽい弁護士だって)まともなことを言う時がある。とりあえず、話を聞こう。ちなみに、人種差別は止めようよ。

 
さて、こうした誤った論法は何十種もあり、正しい論法と一緒に勉強されることが論理学の真髄だ。

論理学の父・アリストテレス (5)

「……論理だけでは人間社会の問題の解決は図れない……。 これは欧米人にはなかなか理解できないようで す」               
               「国家の品格」 第三章より。


欧米人の考え方には、こんなに大きな盲点が本当にあるのだろうか? その質問に取り組む前に論理学そのものについて少し考えてみよう。

論理学の原点は古代ギリシアにある。紀元前4世紀にプラトンの弟子だったアリストテレスは幅広い学問を究め、「哲学の父」、「科学の父」、「政治学の父」などと呼ばれるようになった。もちろん、彼こそが「論理学の父」でもあったのだ。

それから、哲学には、「認識論」という分野がある。知識はいったい何なのか? どうやって知識を得るのか? こういう素朴な疑問が認識論の研究課題であり、アリストテレスは知識論にも大きな影響を与えている。

例えば、アリストテレスによると、人間の知識の起源は、五感の刺激作用である。つまり、世の中のさまざまな物や現象を見たり、聞いたり、触れたりすることによって、私達はそれぞれの対象物に対する直感を得られる。こうした五感の働きはアリストテレス独特の知識論の始まりだ。

そして、第二段階はその直感が概念化されることである。直感的な印象が記憶され、その記憶が「○○は△△である」、もしくは「○○は△△ではない」というふうに分類されることだ。

ところが、ある物は「○○である」、「○○ではない」と記憶することが第二段階の限界である。「現象Aと現象Bは影響しあっている」のような深い思考には至らないのだ。

今までの話をまとめると、炎に手を近づける時に感じる痛みは五感による直感であり、それは知識の第一段階である。そして、「炎は熱いんだ」、「炎は危険だ」というふうに直感が概念化され、記憶されると、それは第二段階である。まだまだ単純そのものの知識だ。

ところで、第二段階よりさらに一歩進めば、知識は推論の領域に入り、はじめて深いニュアンスを得られる。つまり、わかっている事実を前提にすれば、推論を使って新しい結論を導き出すことができる。

「火は熱いけど、熱く燃えるからこそ、家中を暖めることができるはずだ」。これは単純な例でも、思索の第三段階をよく表している。言うまでもなく、推論の領域では、「○○である」と「○○ではない」だけではもはや言葉が足りない。第三段階に達した知識を表現するには、「もしも……」、「……だったら……」、「だから……」、「……だとすれば……」、などの言葉が必要になってくる。

2010年4月27日火曜日

「国家の品格」で見られる「わら人形」とカリカチュア (4)

以前、智子イズムという独特な思考法に触れてきた。ここでその特徴をもう一度挙げよう。

智子イズムを利用する人は:

① 細かい考慮を避ける。
② 素早く且つ大胆に自分と相手の個性や考え方を定義する。
③ ②の後には自分の主張をしまくる。

それから、細かいことに囚われないからこそ、智子イズムは便利な考え方であり、無知な人にとっても、一流の学者にとっても、否定できない魅力があるということについても触れてきた。

では、偽知識とステレオタイプという幻惑しか生み出さない智子イズムに、意図的な「わら人形論法」やカリカチュアを加えたら、議論はどうなるのだろうか?

それは、まるで火に油を注ぐような話だ。相手の主張はまるで理解しようとせず、わら人形だらけの、まったくでたらめな議論になるに違いない。自分と相手の個性や考え方を大胆に定義するだけではなく、自分を美しく見せながら相手をけなし、かつてなかった感情性も議論に伴ってくる。

しかも、漫画・映像・エッセイ集などにまとめられ、このような議論が一般に知られるようになれば、それはまるでウイルスのように伝染し、少数派、あるいは一人の著者の思想だったものは、「国家の幻惑」にまで拡大してしまうことが考えられる。

藤原氏の本には、正式な「わら人形論法」はないのかもしれない。氏が誰かの特定した意見に対して仕立てた反論を述べているのではなく、自分の意見を次々述べているだけだからである。だが、「国家の品格」を読んだ時、「えー、ちょっと待ってよ! そんな解釈はずるいんじゃない?」と思う箇所が非常に多かったので、私は氏の主張を「わら人形論法」と指摘することがある。

しかし、何と言っても、「国家の品格」で最も頻繁に見られるのは、欧米の文化や歴史についての「カリカチュア交じりの智子イズム」だ。藤原氏の主張はほとんどそうだと言っても過言ではない。次回は早速そんな例を見てみることにしよう。

カリカチュア (3)

「カリカチュア」とは、イタリア語では「誇張する」という意味になる。英語やフランス語でも「本当の様子よりも大げさに表す」という意味で使われ、人物画のジャンルでは、痩せている人をまるで骸骨のように描いたり、鼻が高い人の鼻を大根のように描いたりする画法を「カリカチュア」と言う。ポンペイの壁に当時の政治家と思われる人物の鼻やあごを妙に細長く描いた落書きがあることからして、カリカチュアには、かなり長い歴史がありそうだ。

似顔絵を旅行先で描いてもらうことはよくある話だ。「うん、うん。確かにこれはお前の眉毛だな。鼻もそっくりだ!」。こうして喜んでいる観光客の声がパリやニューヨークの街頭で毎日のようにあがっているだろう。だが、無邪気な遊びではなく、相手の欠点を誇大して描き、あるいは完全に現実離れした悪魔に見せたりする悪質なカリカチュアもある。

ブッシュ政権時のアメリカでは、大統領の顔をサルっぽく描く一こま漫画がやたら多く見られた。「ブッシュは頭が悪い」と批判することが作者の狙いだったに違いないが、それ以外に具体的な政策への批判などはまったく感じ取れない作品が多かった。同じように、クリントン大統領の在任中は、ひたすら好色家らしく描く漫画が流行っていた。

大衆の心を瞬時にふめるのは長たらしい経済論や歴史書ではない。大衆の感情に素早く訴え、怒りと愛国心を煽り立てる手段が必要だ。したがって、「カリカチュア」は政府や軍隊のプロパガンダとして悪用されることが多い。第二次世界大戦中も、全ての参戦国がカリカチュアの力を生かし、国民の戦意を高めた。

ナチドイツによって作られた映像や雑誌、ポスター、郵便切手などは特に見事(?)なものだった。当時のどんな宣伝ビラを見ても、金髪のドイツ兵が勇ましく立ち向かっている相手は、下品そうで色黒いロシア人だ。同じように、清らかな青い瞳をしたドイツ人女性に襲いかかっているのは鼻の曲がった鬼のような顔をしたユダヤ人である。ナチ政権は、何百年もの歴史をもつ、大衆の偏見を上手く利用していたのだ。

大日本帝国も、アメリカ合衆国も、敵国について巧みなカリカチュアをプロパガンダとして自国民に発していた。

日本の情報局企画である「写真週報」という雑誌は、「時の立札」という題で様々な標語を戦時中に紹介していた。昭和18年3月10日には、陸軍記念日の特集があり、「撃ちてし止まむ」という有名な標語が「写真週報」で発表された。この特集の一部として、子供用の塗り絵も二枚載っていた。






 
 一枚目の図下には、次のような言葉が書いてある。

コノオニハアカオニデス。イギリスノハタヲハラマキニシ、アメリカノハタヲフンドシニシテヰマス。ヨクカンガエテカラクレヨンデヌッテゴランナサイ。

二枚目の下には、こんな文がある。

コノテキヘイハ、ニンゲンノカタチヲシタアオオニデス。アメリカノハタト、イギリスノハタヲウデニマイテヰマス。オトウサンヤオカアサンニモヨクキイテカラ、クレヨンデヌッテゴランナサイ。

どちらの絵もシンプルな塗り絵で、決してナストの風刺漫画(ましてやドイツのプロパガンダ映画)ほどの洗練された芸術性はない。しかし、その目的を考えれば、なかなかよく出来ていると言えるだろう。幼い心に「鬼畜米英」の精神を植えつけるのには十分な道具で、「コノテキヘイハ、ニンゲンノカタチヲシタアオオニデス」というところなど、特に子供心への効果的な呼びかけだったのだろう。

アメリカのプロパガンダの中にも、敵兵の人間性を否定するようなものがあった。しかし、日本人を鬼や悪魔として描くよりも、人間以下の存在に例えることが多かったようだ。日本兵を原始人やサルのように描いたり、シラミに例えるものまであった。

わら人形論法と風刺漫画 (2)

わら人形論法:

「違います! 私はそんなことは言ってません。私が言いたかったのは、○○だけです」

おそらく誰もがこんなセリフを一度ぐらいはこぼしたことがあるだろう。夫婦喧嘩の最中、友達との言い合いの時、PTAや会社の会議中に……。一度どころか、性格や職業によっては、しょっちゅう言っている人もいるだろう。

これは、相手が自分の言葉を正確に聞き取れなかった時やその内容について勘違いした時のセリフではない。それだったら、「あれ? 違いますよ。7時からではなく、8時からですよ」とか「朝7時ではなく、19時ですよ」のような答え方で充分なはずだ。

同じように、真っ赤な嘘をつかれた時の反応でもない。それだったら、「私が言いたかったのは○○です」ではなく「私が言ったのは○○です」という言葉が出るだろう。

つまり、上のセリフを口にしたのは、自分の話した内容と異なったことを、相手はありのままのセリフのように引用し、元の発言ではなく、その仕立てた偽りの言葉に対して反論を述べたからである。

そんなことをされれば、誰だって怒る。しかし、なぜそんな議論の仕方をする人がいるのだろうか?

それは、相手の主張を大げさに解釈したり、元々なかった意味合いを付け加えたりすれば、反論することが楽になるからだ。無意識にやってしまえば、ただの誤りかもしれないが、わざと相手の言葉を都合の良いように歪めているのであれば、誤りどころか、それは卑怯な詭弁である。無意識な誤りにしろ、意図的な戦法にしろ、この議論法を論理学では「わら人形(ストローマン)論法」と呼んでいるのだ。仕立てた架空の意見を、燃やしやすいわら人形に例えているわけだ。

「えー、ちょっと待ってよ! そんなこと言ってないって!」
「訳わからないこと言わないでよ。私は○○したいだけだ」
「そんな大げさに言わないでくれる?」

わら人形論法で責められた時には、こんなセリフも反射的に出てくるだろう。

風刺漫画:

では、少し話題を変えて、風刺漫画について考えることにしよう。

新聞などで見られる一コマ漫画はルネサンス期イタリアや宗教改革時代のドイツに起源を持つが、19世紀の雑誌「パンチ」(イギリス)と「ハーパーズ ウイークリー」(アメリカ)においては特に洗練された芸術となり、大衆意識を操作する手段となった。

漫画に登場する政治家などの顔をグロテスクなほど大胆に描いたり、擬人化した動物や妖怪を登場させたり、文字を細かく書き込んだり、風刺漫画に使われる題材は一見して多種多様に見える。しかし、逆に言えば、型は決まっていて、描写の仕方や象徴的な要素はどの時代においても大して変わらないのかもしれない。

一つの例として、アメリカの代表的な風刺漫画家トマス・ナストの作品、「アメリカのガンジス川」、を見てみよう。




これは1875年、5月18日の「ハーパーズ ウイークリー」に掲載されたものだ。

当時、全国に広まりつつあった小学校の維持費について、熱烈な議論がなされていた。カトリック系の学校も、公立学校並みの助成金を国から受けるべきかどうか、というのが特に話題になっていたらしい。一般の公立学校でも聖書が授業中に読み上げられる時代ではあったので、宗教そのものが問題ではなかった。しかし、「合衆国の法律よりローマ法王の教令に忠実に従うだろう」と疑われていたカトリック教徒に対する偏見は強かった。

「アメリカのガンジス川」は、カトリック系学校への支援に反対していたナストが描いた漫画だ。その背景には、サンピエトロ大聖堂が美しく聳え立っている。だが、川を挟んで、半分破壊された建物があり、そこには「アメリカ合衆国・公立学校」と書かれている。その上、まるで救助を求めているかのように、学校から揚げられている国旗は逆さまになっている。

漫画の中景には、アイルランド系のカトリック教徒と思われる極悪な男たちが、教師と思われる女性を絞首台へ連れて行こうとしている様子が描かれている。また、男たちの一部は幼い子どもたちを崖から海岸へ下ろし、海から這い上がってくるワニの大群に食べさせようとしている。

前景には、小さい子どもたちを守ろうとしている一人の少年がいるが、今にもワニに襲われてしまいそうだ。少年の表情には、恐ろしさと共に、仲間を守り通す決意が描写され、少年の上着から聖書が半分出ている。このような緻密な工夫で、ナストの数多い傑作の中でも、この絵はとくに注目を集めたらしい。

しかし、この中で特に巧みなのは、ワニ大群の正体だろう。これらのワニをよく見てみると、祭服を着たカトリックの聖職者たちが四つん這いになっており、その細長い帽子がワニの口になっている。カトリック系学校の資金援助を反対するナストの天才的な宣伝工作である。

ところが、資金援助の賛成派には、プロテスタントの聖職者も実際に加わっていて、援助を反対する人の中にはカトリックの信者もいたはずだ。つまり、両方に騒がしい「過激派」がいたにもかかわらず、冷静な議論もなされていたのだ。

「ちょっとやりすぎだな。私も国のお金をカトリック学校の援助にすることに反対だけど、祭司たちをワニに例えるなんて……」

「アメリカのガンジス川」を「ハーパーズ ウイークリー」で見た多くの人々はそう思ったに違いない。そして、風刺漫画の危険性はそこにある。つまり、風刺漫画は、情熱的に何かを訴えることには向いていても、冷静な判断を必要とする問題解決の力にはならない。場合によっては、まったくのカリカチュアに成り下がることもある。

2010年4月26日月曜日

「国家の品格」について (1)

私は国際結婚がどうのこうのという話が嫌いだ。
私はアメリカ人。
妻は日本人。
それだけのことだ。

かといって、「結婚」について話し合うのは嫌ではない。男女関係、子育て、老後の準備……。どれも万国共通の話題であり、世代を超えて誰もが興味を持つことだ。

しかし、「国際」という二文字が頭につくだけで、私はうんざりしてしまう。その理由には、私が結婚早々に受けてしまったトラウマがある。「トラウマ」と呼ぶのは大げさかもしれないが、とにかく、それは妻の友人(ここでは智子と呼ぶことにしよう)によるものだ。

学生の頃から妻と仲が良かった智子は、異常なほど私達の「国際結婚」にこだわっていた。たまたま結婚した男女としてではなく、私達夫婦をどうしても「一人のアメリカ人」と「一人の日本人」として見ていたようだ。そのせいか、「日本人は○○だけど、アメリカ人は○○だよね……」というふうに、智子はどんな話題の会話をしていても、「アメリカ人と日本人の違い」に話を結び付けようとした。

「アメリカ人は皆フレンドリーだよね」
「やっぱり日本人は真面目だと思う?」
「アメリカ人は皆遊び上手なんでしょう?」
「だけど、日本人はよく働くと思わない?」

どうやら、智子にとっては、無愛想なアメリカ人(目の前にいたのに……)はありえないもので、怠け者の日本人も考えられなかったようだ。

「いやー、同じアメリカ人でも、いろんな人がいるからね」

最初のうち、私はこうして智子の主張に抗議を試みたが、聞き入れてもらえないことがわかると、彼女を説得しようとすることを早く諦めた覚えがある。

新婚のあの時代から何年も経ってしまい、妻でさえ智子との付き合いがほとんど年賀状だけになってしまったようだ。だが、「アメリカ人は○○だ。日本人は○○だ」のような発言をする人のことを、我が家では未だに「智子」と呼んでいる。まあ、正直に言うと、私がそう呼んでいるだけかもしれない。とにかく「智子」という固有名詞は、ある独特の考え方の代名詞に化したのである。ここではその考え方を「智子イズム」と名づけよう。

さて、前置きが長くなったが、これより本題に入る。

私が藤原正彦氏の「国家の品格」をはじめて手にしたのは、同書が世に出てから数年経った後のことだった。詳しい内容についてはわからなくても、題名からして面白そうだと思い、「いつか読もう」と前から意識はしていた。地元の図書館では貸し出し中で借りられない時期が長く続いたことも印象に残り、知り合いに勧められることも何度かあった。そういうこともあり、「国家の品格」をやっと手にした時、私は期待を膨らましながら表紙をめくり、最初のページを読んでみた。

藤原氏の前書によると、日本では、義理や貸し借りなどが社会人の常識であり、以心伝心やあうんの呼吸が日本人同士のコミュニケーションを円滑にしている。著者の言うには、これはすべて独特な国民性によることであり、日本人ならではの素晴らしい話だ。しかし、アメリカはどうかと言うと、すべてが論理の応酬で決まってしまい、アメリカ人は前述のような情緒や常識に乏しい。言うまでもなく、これは望ましくない事態である。

「何だこれ? 智子じゃないか?」

藤原氏の前書を読んでみた私の第一印象はそれだった。読み続ければ、こんな内容がどんどん出てきそうな気もして、いきなりがっかりした。

ここで一旦話を戻して、智子イズムについて詳しく考えよう。

まず、はっきりさせておきたいのは、私が智子イズムと呼んでいるのは、経験の浅さや知識の足りなさから物事の真相を勘違いしてしまうことではない。こうした「情報不足による判断ミス」と違い、智子イズムは具体的な知識の有無とは関係ない。言い換えれば、智子イズムは、思考の内容に欠点があるというより、思考法そのものがおかしい。

例えば、私が智子にいくら抗議をしても、彼女はその話を「ふーん」と聞き流し、次に会う時はいつものような発言を繰り返していた。彼女には(せめて空港嫌いな私よりは)海外旅行の経験が何度もあり、人並みの教育も受けていた。だが、それにもかかわらず、彼女はあえて、「アメリカ人は皆○○だ、日本人は皆○○だ」という非常に大胆な考え方しかしなかった。つまり、智子は無知だったのではなく、持っていた知識の処分が悪かった。こういう意味で智子イズムは思考法の問題である。

智子イズムの代表的な特徴は、自分と相手の個性や考え方を素早く、且つ大胆に定義することだ。そうすることによって、自分の意見を好きなだけ主張できるようになるので、智子イズムはとても便利な考え方である。そして、便利だからこそ、経験や知識にかなりの薀蓄があり、他の場面では実に巧みな思考を用いる人でも、時と場合によって、智子イズムをあえて使うことがある。

もちろん、この便の良さを得るには、様々な詳細を無視し、深いニュアンスのある理解を犠牲にしなければならない。だが、智子イズムは単純な考え方だからこそ、不都合な事実に焦点を当てず、自分の主張の正しさを裏付ける情報にだけピントを合わせることができる。一流の知識人だろうと、弁論の初心者だろうと、これは否定できない魅力なのだ。

しかし、フレンドリーではないアメリカ人が山ほどいることや、遊び上手な日本人も沢山いることが示すように、智子イズムが導き出す結論には、乏しいステレオタイプに過ぎないものが圧倒的に多い。「アメリカ人は皆フレンドリーだ」というのは、何の役にも立たない偽知識であり、智子イズムはこうした幻惑ばかりを生み出す。

とはいえ、智子の例は大した話ではない。「またそんなことを言ってるのか?」と私はあきれていたが、彼女はそれでも立派な人だった。

ところが、智子イズムという思考法は、これより大きな問題を引き起こすこともありえるのだろうか? 「国家の品格」を読みながら「ありえる!」と強く思い始めた私は、先ずそのことに焦点を当てたいと思う。

だが、それだけではない。「国家の品格」を読めば読むほど私は驚いた。著者は頭が良く、教養もあり、立派な目標を持って執筆したはずではあるが、殆どどのページを見ても、欧米の文化についての不理解が目立ち、氏の歴史観もかなり疑わしく思えた。藤原氏の最終的な結論については、「こんな考え方はむしろ危険ではないか」とまで思うように至ったのである。

誰にだって無知な部分や先入観がある。智子の世間話程度だったら見てみぬ振りをするのは、かえって良い対処法かもしれない。だが、「国家の品格」の場合は違う。数多くの人が読んだだけあって、反論もなくてはならない。