2010年4月27日火曜日

「国家の品格」で見られる「わら人形」とカリカチュア (4)

以前、智子イズムという独特な思考法に触れてきた。ここでその特徴をもう一度挙げよう。

智子イズムを利用する人は:

① 細かい考慮を避ける。
② 素早く且つ大胆に自分と相手の個性や考え方を定義する。
③ ②の後には自分の主張をしまくる。

それから、細かいことに囚われないからこそ、智子イズムは便利な考え方であり、無知な人にとっても、一流の学者にとっても、否定できない魅力があるということについても触れてきた。

では、偽知識とステレオタイプという幻惑しか生み出さない智子イズムに、意図的な「わら人形論法」やカリカチュアを加えたら、議論はどうなるのだろうか?

それは、まるで火に油を注ぐような話だ。相手の主張はまるで理解しようとせず、わら人形だらけの、まったくでたらめな議論になるに違いない。自分と相手の個性や考え方を大胆に定義するだけではなく、自分を美しく見せながら相手をけなし、かつてなかった感情性も議論に伴ってくる。

しかも、漫画・映像・エッセイ集などにまとめられ、このような議論が一般に知られるようになれば、それはまるでウイルスのように伝染し、少数派、あるいは一人の著者の思想だったものは、「国家の幻惑」にまで拡大してしまうことが考えられる。

藤原氏の本には、正式な「わら人形論法」はないのかもしれない。氏が誰かの特定した意見に対して仕立てた反論を述べているのではなく、自分の意見を次々述べているだけだからである。だが、「国家の品格」を読んだ時、「えー、ちょっと待ってよ! そんな解釈はずるいんじゃない?」と思う箇所が非常に多かったので、私は氏の主張を「わら人形論法」と指摘することがある。

しかし、何と言っても、「国家の品格」で最も頻繁に見られるのは、欧米の文化や歴史についての「カリカチュア交じりの智子イズム」だ。藤原氏の主張はほとんどそうだと言っても過言ではない。次回は早速そんな例を見てみることにしよう。

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